うたた寝している間に
こんな事態に
なっていようとは!!
よもや よもやだ
原作であるコミック7巻60話「二百人を守る」にのみ登場するセリフです。たった一回しか出てこない言葉なのに、やたらと印象に残るシーン。煉獄杏寿郎が発した「よもや」は、現代の言葉では「まさか」と同じ意味を持ちます。そして「よもやよもやだ」と繰り返すことでさらに意味を強調しています。意外なことに、煉獄杏寿郎が「よもやよもやだ」と言ったのは無限列車編で一度のみでした。なにはともあれ、煉獄杏寿郎が言うとカッコ良すぎるセリフですね!
社会現象を巻き起こした人気作品『鬼滅の刃』。数多くの魅力的な登場人物の中でも、炎柱・煉獄杏寿郎の存在は、多くのファンの心に強く焼き付いています。その中でも特に印象的なのが、「よもやよもやだ」という名言です。この言葉は、煉獄杏寿郎という人物の性格や置かれた状況を端的に表しており、物語の中でも非常に重要な場面で使われました。この記事では、この「よもやよもやだ」という言葉の本来の意味から、原作漫画やアニメで描かれたシーンの背景、そして彼の心情に至るまで、深く掘り下げて解説していきます。
煉獄杏寿郎の心を揺さぶった名言「よもやよもやだ」
「よもやよもやだ」というセリフは、煉獄杏寿郎の代名詞の一つとして広く知られています。力強く、そしてどこか古風な響きを持つこの言葉は、一度聞いたら忘れられないインパクトがあります。しかし、このセリフが原作漫画の中でたった一度しか登場しないことを知っている人は、意外と少ないかもしれません。たった一度の使用にもかかわらず、これほどまでに人々の記憶に残っているのは、その言葉が発せられた状況がいかに衝撃的であったかを物語っています。この一言には、彼の驚きだけでなく、柱としての責任感や覚悟といった、様々な感情が凝縮されているのです。
そもそも「よもや」ってどういう意味?
「よもや」という言葉は、現代の日本語ではあまり耳慣れないかもしれません。この言葉は、「まさか」「まったく思いもよらない」といった意味を持つ副詞です。信じられないような事態や、到底考えられない出来事に遭遇した時の驚きを表します。語源をたどると、「たとえ、仮に」を意味する「よも」に、反語や打ち消しの意味を持つ助詞「や」がついて生まれた言葉とされています。つまり、「まさかそんなことはないだろう」という強い否定の気持ちが含まれた、驚きの表現なのです。古風な言葉遣いが、大正時代という物語の舞台設定や、煉獄家の厳格な家柄で育った煉獄杏寿郎のキャラクターによく合っています。(※副詞:主に動詞や形容詞などを詳しく説明する言葉)
「よもや」を繰り返すことで強調される驚きの大きさ
煉獄杏寿郎は単に「よもや」と言うだけでなく、「よもやよもやだ」と繰り返しています。同じ言葉を繰り返す表現は反復法と呼ばれ、感情の高ぶりや意味を強調する効果があります。この場合、一度だけの「よもや」では表現しきれないほどの、非常に大きな驚きや動揺が彼の心を占めていたことを示しています。普段は冷静沈着で、どんな強敵を前にしても揺るがない精神力を持つ煉獄杏寿郎。その彼がこれほどまでに驚きを隠せない様子を見せたことは、直面した事態がどれほど異常で、予測不能なものであったかを物語っているのです。
原作漫画で唯一!「よもやよもやだ」が登場した伝説のシーン
この伝説的なセリフが登場するのは、原作コミックスの7巻、第60話「二百人を守る」でのことです。無限列車を舞台に、下弦の壱・魘夢(えんむ)との死闘を制した煉獄杏寿郎。彼は、ともに戦った竈門炭治郎たちを労い、列車の乗客二百人の命を一人も失うことなく守り抜いたことに安堵していました。しかし、その直後、夜明け前の静寂を破って突如現れたのが、上弦の参・猗窩座(あかざ)でした。十二鬼月の中でも別格の強さを持つ上弦の鬼が、何の兆候もなく目の前に現れたのです。この予期せぬ最悪の事態に直面した瞬間、煉獄杏寿郎の口から漏れたのが「よもやよもやだ」という言葉でした。
アニメ版『鬼滅の刃』無限列車編ではどう描かれたか
アニメ版の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』やテレビアニメ版でも、このシーンは圧巻の迫力で描かれました。煉獄杏寿郎の声を担当する声優・日野聡さんの演技は、言葉にできないほどの驚愕と焦燥感を見事に表現していました。静かながらも緊張感に満ちた声のトーンは、彼の内なる動揺を視聴者にダイレクトに伝えます。さらに、猗窩座が登場する際の不気味な効果音や、一瞬にして空気が張り詰めるような映像演出が加わることで、原作の持つ緊迫感が何倍にも増幅されました。このアニメならではの表現によって、「よもやよもやだ」のセリフはさらに多くの人々の記憶に深く刻み込まれることになったのです。
なぜ煉獄杏寿郎は「よもやよもやだ」と口にしたのか?その心情を読み解く
彼がこの言葉を発した背景には、単なる驚きだけではない、複雑な心情が渦巻いていました。第一に、鬼殺隊の最高戦力である「柱」としての強い責任感です。乗客二百人の命を守り抜いた直後に、それを脅かすさらに強大な敵が現れたことへの焦り。そして、後輩である炭治郎たちが到底太刀打ちできない相手だと瞬時に理解し、自分がここで食い止めなければならないという覚悟。さらに、魘夢とは比較にならないほどの猗窩座の強大な鬼の気配から、その実力を瞬時に見抜いたことへの戦慄も含まれていたでしょう。これらの感情がすべて凝縮された一言が、「よもやよもやだ」だったのです。
「まさか」ではなく「よもや」を選んだ理由とは
現代語の「まさか」でも意味は通じますが、作者はあえて「よもや」という言葉を選びました。そこには明確な意図があったと考えられます。「まさか」という言葉は日常的で、やや軽い響きを持つことがあります。しかし、「よもや」という古風な言葉は、より深刻で切羽詰まった状況のニュアンスを伝えます。代々続く鬼殺隊の名門である煉獄家の長男として、厳しい教育を受けて育った彼の言葉遣いとして、「よもや」は非常に自然です。この言葉選び一つが、煉獄杏寿郎という人物の品格や、物語全体が持つ大正時代の雰囲気をより一層引き立てているのです。
心に響く煉獄杏寿郎の他の名言も紹介
煉獄杏寿郎の魅力は「よもやよもやだ」だけではありません。彼の生き様を表す名言は数多く存在します。「心を燃やse」「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ」「俺は俺の責務を全うする」といった言葉たちです。これらの名言からは、彼の揺るぎない信念、弱き者を守るという優しさ、そして人間であることへの誇りが伝わってきます。絶望的な状況で発せられた「よもやよもやだ」という言葉と、これらの前向きで力強い言葉を合わせて考えることで、彼の人間的な魅力がより深く理解できるでしょう。
日常で「よもやよもやだ」を使ってみよう
この印象的な言葉を、私たちの日常で使ってみるとどうなるでしょうか。例えば、万全の対策をして臨んだテストで、全く勉強していない範囲から問題が出た時。あるいは、楽しみに取っておいた冷蔵庫のプリンを、いつの間にか家族に食べられてしまっていた時。そんな「まさか」の場面で、心の中で「よもやよもやだ」と呟いてみると、少しだけ煉獄杏寿郎の気持ちに近づけるかもしれません。もちろん、彼のようにはカッコよく決まらないかもしれませんが、言葉の持つ面白さを再発見するきっかけになるはずです。
まとめ:「よもやよもやだ」は煉獄杏寿郎の生き様そのものだった
ここまで見てきたように、「よもやよもやだ」は、単なる驚きを表す言葉ではありません。それは、鬼殺隊の炎柱としての強い責任感、目の前の人々を必ず守り抜くという固い決意、そして想像を絶する脅威に直面した際の人間的な動揺が凝縮された、魂の叫びでした。たった一度しか使われなかったセリフが、これほどまでに私たちの心を掴んで離さないのは、その一言に煉獄杏寿郎の生き様そのものが詰まっているからに他なりません。この言葉の意味を知ることで、無限列車編の物語をより一層深く味わうことができるでしょう。
注釈
※魘夢(えんむ):『鬼滅の刃』に登場する鬼の一人。十二鬼月の中の下弦の壱。人の夢を操る能力を持つ。
※猗窩座(あかざ):『鬼滅の刃』に登場する鬼の一人。十二鬼月の中でも特に強力な、上弦の参。武術を極めた高い戦闘能力を誇る。
※反復法:同じ言葉や似た言葉を繰り返すことで、感情や意味を強調する表現技法。
※柱:鬼殺隊における最高位の剣士たちのこと。それぞれが特定の「呼吸」を極めている。